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古今亭志ん生
Kokontei Shinshou
(1890年6月28日-1973年9月21日)
Kokontei Shinshou
(1890年6月28日-1973年9月21日)
- 1890年、東京・神田に生まれる
- 少年のころから放蕩三昧で、10歳になるかならないかで酒を覚え、尋常小学校を素行不良で退学処分になっている。13歳(一説には15歳)で勘当されている。
- 古今亭志ん生の名になるまで17回(一説には16回)も改名をしているのだが、その理由は借金取りから逃げ回るためであった。
- 何においても酒が好きな志ん生、関東大震災の直後、家から飛び出して向かったのは酒屋。酒を売ってもらうよう頼むも、酒屋の主人は「私は逃げるから好きなだけ飲め」という。
- 遠慮なく店の酒を飲みまくった志ん生は、余震が続くなか、千鳥足で家へ帰ったという。
- 32歳で結婚をするが、その一ヵ月後には嫁入り道具はすべて質屋に消えていった。芸人らしく?「呑む・打つ・買う」にきっちり使ってしまったよう。
- 酔っ払ったまま高座にあがり噺の途中で寝てしまうも、客から「そのまま寝かせてやれ」という声が飛んだ、という逸話もある。これは、後の噺家による作り話のようだが、志ん生のキャラクターがよく表されている。
- 気分で噺の長さが変わることもままあり、自由奔放で、生き方そのものが「芸」であった志ん生だが、一方で稽古熱心で有名であったともいう。電車賃がなく徒歩で移動する道すがら、声に出して演じながら歩いていたという。
- 晩年、脳出血で倒れ右半身は麻痺が残っていたが、志ん生は自ら望んで高座に復帰した。療養中も麻痺でよだれも拭けない状態でも決して稽古を休まなかったという。
「他人の芸を見て、あいつは下手だなと思ったら、そいつは自分と同じくらい。同じくらいだと思ったら、かなり上。うまいなあと感じたら、とてつもなく先へ行ってる」
※名言の詳細は「壁をブチ破る天才100の言葉」(彩図社)を参照。
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