「今日は何の日?」

今日は何の日でしょうか? 下記から検索してみましょう(更新中!)。

〔1月12日〕
1月12日は作家の木村荘十の誕生日。名前をみてピンと来る人がいるかもしれないが、木村荘平の十男である。木村荘平は明治に牛鍋のチェーン店を20数店を展開。それぞれ妾に経営させたという伝説を持つ。そんな父を持つ荘十は、『雲南守備兵』で直木賞を受賞。木村荘平一族はいつか書きたい

1月12日は「桜島の日」。大正3年1月12日に鹿児島県の桜島で、史上最大の大噴火が始まる。この「大正噴火」で流失した溶岩により、桜島と大隅半島とが陸続きになる。地震学者の大森房吉が、桜島周辺で小さな地震が多発していることから、注意を促す電報を打とうとした矢先の出来事だった。

〔1月13日〕
1月13日は筑摩書房の創業者、古田晁(ふるた・あきら)の誕生日。出身地の筑摩郡が、社名の由来となった。古田が友人の臼井吉見に相談すると「社名の言葉に意味を持たせないほうがいい」とアドバイスされたためだ。時代が変わっても残る社名を冠し、筑摩書房は昭和15年にスタートし、現在に至る。

筑摩書房と言えば、太宰治全集を刊行したことでも知られる。太宰が入水自殺をする前に訪ねたのが、古田である。だが、古田は帰省中で会うことができなかった。翌日に太宰は自殺。古田は「会っていたら、太宰さんは死ななかったかもしれん」と嘆いた。

〔1月14日〕
1月14日は秦豊吉(はた・とよきち)の誕生日。商社マンから興行家に転身して、1947年に新宿の帝都座で日本初のストリップ・ショーを上演。大きな話題となった。商社勤務時代から翻訳や執筆も精力的に行い、ゲーテの『ファウスト』やレマルクの『西部戦線異状なし』の翻訳も手がけている。

【1月15日】
1月15日は「寛政の改革」を断行した老中・松平定信の誕生日。8代将軍・徳川吉宗の孫で、もともとは次期将軍候補として有力視されながらも、陸奥白河藩に養子に出されてしまった過去を持つ。定信の人間関係も『なにかと人間くさい徳川将軍』(彩図社)で解説した。

【1月16日】
1月16日は「禁酒の日」。1920年(大正9年)1月16日に禁酒法(Prohibition)が、施行されたことに由来している。禁酒法施行の結果、密造酒販売が横行。なかでも「暗黒街のボス」アル・カポネは巨額な利益を手にしている。13年10ケ月19日7時間32分30秒間にわたる「高貴な実験」と揶揄されることも。アル・カポネについては『カポネ 人と時代 殺戮と絶望のシカゴ篇』に詳しい。

【1月17日】
1月17日は、新潟ゆかりの偉人、解剖学者・小金井良精の誕生日。ドイツに留学後、明治19年に帝国大学で日本人初の解剖学教授となり、日本解剖学会を創立した。アイヌの骨格を研究するなど人類学者としても活躍。星新一の祖父、森鷗外の妹婿にあたる。参照に『祖父・小金井良精の記』(星新一)

【1月18日】
1月18日は、鈴木貫太郎の誕生日。日本の敗戦が濃厚になるなかで首相を務めて、ポツダム宣言を受諾。日本を終戦へと導く。小学生の頃に父から言われた「怒ってすることは成功しない。皆自分の損になるばかりだよ」の言葉を心に刻み、寛容さを大切にした。詳細は『天才を育てた親はどんな言葉をかけていたのか?』(サンマ―ク社)にて。

1月18日は、イギリスの児童文学作家、A.A.ミルンの誕生日。風刺雑誌のユーモア作家だったミルン。40代を迎えて、自分の子供が持つぬいぐるみが活躍する物語を書き、それが「クマのプーさん」の下地となった。もし創作に行き詰まれば、身近な大切な人を思い浮かべてみては。

【1月19日】
1月19日は「江戸薩摩藩邸の焼討事件」が起きた日(1868年)。キーマンは相楽総三である。相楽は西郷と大久保の指示を受けて、旧幕府軍を挑発。わざと事件を起こさせ、戊辰戦争の口実とした。だが、功労者のはずの相楽は切り捨てられる。悲劇の物語は『泣ける日本史』 にて。

【1月20日】
1月20日は、棋士の升田幸三が、王将戦で大山康晴名人を相手に「香を引いて」勝利した日。升田が掲げた長年の目標だったが、悲願達成にも母は「勝ったお前はええが、相手の人が気の毒のような気がする」と。他者への思いやりを升田は学んだ。詳細は『天才を育てた親はどんな言葉をかけていたのか?』

〔1月22日〕
1月22日は、ポーランド出身の画家モイズ・キスリングの誕生日。パリのモンマントルで画家活動をスタート。アトリエ「洗濯船」に移り住み、ピカソやブラックらと交流した。20代後半で画家として成功。家族にも恵まれ幸福な生涯を送った。女性の肖像を得意とした。代表作に「モンパルナスのキキ」。モイズ・キスリングの肖像画

〔3月21日〕
3月21日は「音楽の父」「大バッハ」と呼ばれるヨハン・ゼバスティアン・バッハの誕生日。バッハは非常に几帳面で、持ち物や貴重品の管理はいつも同じでなくては気が済まず、無駄使いを嫌った。ただ金を無心する息子たちには甘く、親バカだったところは、実に人間らしい。

〔3月23日〕
3月23日は映画監督、黒澤明の誕生日。黒澤は、先生に絵を誉められたことをきっかけに画家を目指すが、美術学校の受験に失敗。その後もアルバイトをしながら、画家の夢を追うものの、断念している。挫折の末にたどり着いたのが、映画の世界だ。天職にはふいに出会うから、その前に人生を投げない。

〔3月25日〕
今日3月25日は、島崎藤村の誕生日。姪を妊娠させて、海外へ逃亡。散々に周囲を怒らせておいて、小説『新生』で自ら姪との関係を暴露。今でいえば、自分で自分に文春砲を打つようなファンキーさ。『大人のためのざんねんな偉人伝』の機会があれば、ご登場いただこう。

〔3月29日〕
3月29日は明治から昭和にかけて活躍したジャーナリスト、阿部眞之助の誕生日。山縣有朋、伊藤博文、大隈重信、大久保利通、板垣退助、桂太郎、東條英機らの素顔を描いた『近代政治家評伝』(文春学藝ライブラリー)は名著。日本恐妻連盟を組織し、自ら総裁に就任した。

〔3月30日〕
3月30日はイケアの創業者、イングヴァル=カンプラードの誕生日。「マッチ売りの少女」ならぬ「マッチ売りの少年」として5歳から商いを。家具を購入者自身に組み立ててもらうアイデアで、イケアをスウェーデン全土に拡大。さらに世界へ。恐るべき倹約家としても有名だ。

3月31日〕
3月31日は、室町幕府13代将軍・足利義輝の誕生日。足利将軍といえば、金閣寺の義満や、銀閣寺の義政など文化的なイメージがやや強いが、義輝は「剣豪将軍」と呼ばれたほど剣の腕が立った。NHK大河ドラマ「麒麟が来る」では、向井理さんが演じて話題に。その物語は『泣ける日本史』(文響社)でも。

〔4月1日〕
4月1日は、山形県の篤農家、阿部亀治の誕生日。亀治は12歳で学校を辞め、家業の農家を継ぐ。生涯を米の品種改良にかけ、古代米「亀ノ尾」を育成。ササニシキやコシヒカリなど日本を代表する「うまい米」のルーツを創った。亀ノ尾の里資料館もある。

〔4月2日〕
4月2日は、小学館と集英社の創業者、相賀武夫の誕生日。25歳で小学館を創業し『小学五年生』『小学六年生』を創刊した。そこには小学児童の教育への熱い思いがあった。児童誌メインの小学館から娯楽雑誌部門を分離し、集英社を創業。後に小学館も娯楽出版事業へと参入する。

〔4月3日〕
4月3日は、競走馬メジロマックイーンの誕生日。豊富なスタミナで先行押し切りのレース展開を得意とした。武豊が騎乗し1991年と1992年は春の天皇賞を連覇。1993年には宝塚記念で優勝を果たす。2006年、心不全で誕生日で同じ4月3日に死去。お墓は北海道のレクヴィラファーム

〔4月4日〕
4月4日は、小説『浮雲』の作者、二葉亭四迷の誕生日。読みやすい文体を模索し、文章を口語的な文体で書く「言文一致体」を確立。筆名は「くたばってしめえ(しまえ)」から由来し、文学に無理解の父から言われた説、自虐説などがある。ロシア文学の翻訳者としても活躍。

〔4月5日〕
4月5日は、ブラザー工業株式会社の創業者、安井正義の誕生日。父のミシン修理事業を受け継ぎ、17歳でミシンを輸出産業すると決意。昭和9年に創業し、本格的な家庭用ミシンの国産化に成功した。「麦わら帽子製造用水圧機」を製作し、帽子メーカーを喜ばせたことも。

〔4月6日〕
4月6日は医学者、長與又郎の誕生日。伝染病研究所長、医学部長を経て、昭和9年に東大総長に就任。癌研究所長もつとめた癌研究の世界的権威。夏目漱石の主治医でもあり、漱石の遺体解剖を行った。日本癌学会は長與又郎賞を設立している。

〔8月3日〕
8月3日はノルウェー国王、ホーコン7世の誕生日。ナチス・ドイツによる侵攻に、徹底的に抗戦。その勇姿は、映画「ヒトラーに屈しなかった国王」にも描かれた。日本での「八甲田山遭難事故」に心を痛めて、明治天皇にノルウェーのスキー板を贈呈したこともある。

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