イジメを恐れた紫式部が実践したこととは?

紫式部 偉人コラム
紫式部

平安時代での華やかな宮廷生活にも、面倒な人間関係はやはりあったようだ。紫式部が一条天皇の中宮、彰子に仕えると、はやくも陰湿な洗礼を受けることになる。原因は紫式部が書いていた『源氏物語』である。教養をひけらかしていると、周囲から嫌味を言われたという。

そのため、紫式部は漢字の「一」すら書けないふりをして、周囲から目をつけられないように苦心していた。そんな紫式部にとって、天真爛漫で理解しがたかったのが、『枕草子』の作者、清少納言である。2人は面識こそなかったが、対照的なタイプだったがゆえに、紫式部からすれば、どうにも気に食わなかったようだ。紫式部は『紫式部日記』で、清少納言のことを辛辣に批判している。

紫式部の「隠キャ力」が『源氏物語』を生んだ!?偉人の否定しない姿勢に学ぶ(CHANTO WEB)

そんなどちらかといえば「陰キャ」だった紫式部については、上記記事でコメントしたほか、下記の書籍『偉人名言迷言事典』でも、名言と「迷言」の両方から解説している。

偉人名言迷言事典

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