明治の実業家・広岡浅子は新事業をどうやって思いついたのか?

広岡浅子 偉人コラム
広岡浅子

従来通りのやり方では、なかなか物が売れにくい時代。変化に否応なくさらされたという点では、明治期と共通するものがあるかもしれない。

明治に活躍した実業家の広岡浅子は、嫁いだ加島家が「このままでは立ち行かなくなる」と事前に察知。よそ者だからこその視点で、 加島家の再建に奔走する。混乱期には立ち行かなくなるビジネスが出てくる一方で、チャンスをうまくつかめば、大きな飛躍も夢ではない。

浅子が励んだのは「情報収集」である。新聞や書物にあたりながら、国の政策を踏まえて、これからの時代に何が求められているのかを探り、石炭事業へとたどり着く。当時は比較にならないほど情報があふれている今。大切なのは情報の「解釈力」だといえるだろう。

どんな状況にも突破口はある!広岡浅子の「当事者力」から挫けない姿勢を学ぶ(CHANTO WEB)

連続テレビ小説「あさが来た」(NHK)のヒロインのモデルにもなった広岡浅子。その「当事者力」について、上記の記事でコメントした。また『偉人名言迷言事典』では、名言と「迷言」を通じて、浅子の思考プロセスを解説しているので、参照されたい。

偉人名言迷言事典

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